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【対談インタビュー】小山実稚恵さんと テクスチュア探訪 Vol.19

小山実稚恵さんプロデュースの杉並公会堂オリジナルシリーズ「エトワール〜ピアノの星」。全5回シリーズの第4回目として、2025年度は小山さんとチェリスト宮田大さんのデュオが実現します。(2/21(土)小山実稚恵&宮田大デュオ
小山さんが杉並公会堂でチェロとのデュオを演奏するのは、2013年の堤剛さんとの共演以来、実に13年ぶりとなります。

〈小山実稚恵さん:以下[小山]/ 聞き手=杉並公会堂:以下[杉並]〉

※テクスチュア:織物の織り方、生地。手触りや質感のこと。音楽では創作作品の書き込みそのものを指す。

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ベートーヴェンの放つ「熱波が強い」チェロ・ソナタ第3番
[杉並] 今回のプログラムは、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番と、ラフマニノフのチェロ・ソナタ。
いわばチェロ・ソナタの「2大名曲」、両方ともボリュームがある作品で、中身が濃いプログラムですね。

[小山]ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番は、ピアノ協奏曲第5番《皇帝》や、交響曲第5番《運命》、第6番《田園》といった名曲が次々に生まれた、いわゆる「傑作の森」と呼ばれた時期、まさに作曲家にとっての充実期の作品です。
ベートーヴェンは、その生涯において少しずつ作風が変わっていくのですが、常に素晴らしい作曲家であり、また卓越したピアニストでもありました。当時は作曲家自身が初演作品のピアノを弾くことが通例でしたから、今回のチェロ・ソナタでも、自らがピアニストとしてピアノパートを演奏し、チェリストと共演するつもりで作曲していたのだと感じます。
若い頃に作曲されたチェロ・ソナタの第1番、第2番は、身体中に力が漲(みなぎ)って、気力の充実も素晴らしい。自身がピアノパートを受け持つという意識に溢れていますから。それだけに、チェロと対等というより、むしろピアノが勝つくらいの勢いも感じます。
一方で、後期に作曲された第4番、第5番になると、もはや楽器や人知を超越した音楽の高みに登っていくというか、別の世界に突入していくわけです(笑)。第5番ではフーガを使ったりと、少し怪しい雰囲気も漂っているんですね。
そこにおいて、ちょうどそれらの間である第3番は、この時期ならではのエネルギーに溢れ、より人間らしい感情も表出された作品になっています。放つ「熱波」を強く感じます。構成も抜群、深みもあり、とても流麗で朗々と歌う場面もある。ピアニスティックでありながらチェロに寄り添い、音楽的なバランスが取れている。《運命》や《田園》のように、これこそがまさに私たちが思い描くベートーヴェンの最盛期のイメージではないでしょうか。

[杉並] ベートーヴェンのいちばん美味しいというか、脂が乗り始めた時期の作品なのですね。
はじめチェロから始まって、ピアノが追いかけてくる。寄り添う感じが素敵です。

[小山]チェロのソロに寄り添うように、シューッとピアノが入ってくるのよね。第1楽章の朗々としたテーマ、いいですよね。ベートーヴェン自身はチェロを演奏しなかったけれど、チェロという楽器がとても好きだったのではないでしょうか。
余談ですが、卓越したピアニストでもあった作曲家は、何故か一様にチェロが好きだったのではないかと思うことがあります。ベートーヴェンは有名なヴァイオリン・ソナタも書いているけれど、それらは比較的早い時期で終わっている。ショパンも、ラフマニノフも、ヴァイオリン・ソナタは書いていないのに、素晴らしいチェロ・ソナタがたった1曲ずつある。
おそらくピアノという楽器に対して、チェロの音色がどこかしら「しっくりくる」、といったことを感じていたのではないでしょうか。


鐘の響きが聴こえてくる、スケール大きなラフマニノフ
[杉並] 後半はラフマニノフのチェロ・ソナタ、演奏時間が40分間近い大作です。この作品は、有名なピアノ協奏曲第2番とほぼ同じ時期に作曲されているようですね。

[小山]はい。ピアノ協奏曲第2番は作品18で、チェロ・ソナタが作品19ですから、まさに同じ時期ですね。
当時ラフマニノフは、グラズノフの指揮した交響曲第1番の初演が大失敗に終わったことがきっかけで、精神を病んでしまいます。精神科のダール博士のもと長期間にわたり療養し、徐々に回復後、ピアノ協奏曲第2番、チェロ・ソナタ、そして交響曲第2番といった代表的な作品群につながっていきます。作品としてある意味ですごく良いものが出てきた時期ですね。
チェロ・ソナタは、曲想としては、ピアノ協奏曲第2番や第3番に通じるところも感じます。とても美しい緩徐楽章(=第3楽章)などはピアノ協奏曲第2番のロマンティシズムに近いかもしれません。チェロ・ソナタの第3楽章はピアノのパートだけを弾いても、ピアノ作品として成立するのではと思わせるほど、美しいのです。とにかくソナタ全体が深々しく、垢抜けたピアノテクニックとお洒落さ。ラフマニノフにしかない世界観もあり、高貴な雰囲気も感じます。
帝政ロシアの頃のきらびやかでゴージャスな雰囲気、もしかしたらその時代の空気感なのでしょうか。またはラフマニノフ自身生活のバックグラウンドにそういうものがあって自然に出てくるのかもしれない。それが、なんとも良いんですよね。

[杉並]非常にシンプルな器楽作品でそういった表現ができる、すごい才能ですね。


(譜例:第1楽章「タタタン、タタタン」)


[小山]例えば印象的な部分として、第1楽章の「タタタン、タタタン」っていうフレーズが、何度か出てきますよね。そこからチェロが歌いだしたり。ひとつの話の区切りとして次のフレーズへのブリッジになっていたり。とってもシンプルだけど効果的だし、それがお洒落なのですよね。
そしてチェロ・ソナタは、作品としてとても規模が大きく、まるで交響曲のようなスケール感です。第1楽章だったら「タタタン、タタタン」で様々に展開していき、第2楽章は速いテンポで突き進む感じ。第3楽章はとろけるような甘いメロディ、第4楽章はリズムが面白い感じになる。だから基本スケッチのあり方としては、チェロ・ソナタにもできるし、交響曲にもできるというところかもしれません。結局はどちらになっても、流れているものは変わらないということですね。
あと、この作品にはラフマニノフ特有のロシア正教の「鐘」が、わかりやすい形では出てこない。ピアノ協奏曲第2番のように、鐘を象徴したわかりやすいモチーフこそありませんが、随所に「ここは鐘の響き、ここも、ここも」って聴こえてきます。それがまた、素敵なのですね。

 

宮田大さんの音楽をイメージしながら準備しています
[杉並]いよいよ、若くして日本を代表するチェリスト、宮田大さんとのデュオ共演です。

[小山]宮田さんとは、矢部達哉さんとのトリオなど室内楽では、杉並公会堂でも何度もご一緒しているのですが、二人だけでデュオとしてコンサート出演させていただくのは、実は今回が初めてなのです。たくさんご一緒していそうなイメージなのに(笑)。
宮田さんはこれまで、オーケストラで弾かれたり、室内楽でもご活躍で、もちろんソリストとしては言うまでもない素晴らしさで、とにかくチェリストとしてそして音楽家として様々な経験を積んでいらっしゃいます。トリオをご一緒したときには、その自由自在な宮田さんの音楽に、深い感銘を受けました。
そういったことを踏まえて、宮田さんとのデュオを今回イメージしたときに、選曲としてはベートーヴェンはもちろんあるべきだろうと。しかも王道ともいえる第3番は本当に素晴らしいだろうと直感的に思ったのです。最終的には宮田さんからのご意見も伺うなかで、是非とも第3番をお願いしたいということになりました。

[杉並] 宮田さんとのベートーヴェンは、どんな感じになっていきそうでしょうか。

[小山]言葉にするのは難しいのですが、宮田さんご本人と合わせをする前、自分だけでピアノを弾いて(練習して)いるときに、宮田さんの音楽的なイメージを想像しながら弾いています。以前ご一緒したことのある方であれば、仮に別の曲目であっても「この部分は宮田さんはこういう感じで出てきそう」など、共演者の方を思い浮かべます。
ベートーヴェンのチェロソナタ第3番で考えますと、例えば堤剛先生とはこの曲を何度か共演させていただいているので、堤先生が作られる音楽のイメージでしたら、すでにあるというか、想像ができます。でも宮田さんとは(デュオでは)今回が初めての共演ですので、過去にトリオなどの様々な機会でご一緒した時の感じから、音色や、フレーズや、ヴィブラートの様子など、「こう弾かれるのではないかなぁ~」とイメージを勝手に膨らませています(笑)。

[杉並]きっと宮田さんも「実稚恵さんならこう弾くだろうな」って思いながら、ご準備をされることでしょう(笑)。


「小山実稚恵さんとのデュオが実現するのなら、是非ともラフマニノフをご一緒したい」
[杉並]後半のラフマニノフですが、今回のデュオのお話を持ちかけたときに、宮田さんは「実稚恵さんとのデュオが実現するのなら、是非ともラフマニノフのチェロ・ソナタをご一緒したい」との強いご要望をお持ちでした。企画者として実現できて嬉しく思いますし、出演者が熱望するコラボといった意味で、今回の共演はお客様にとってもかなりの聴きものとなるのではないでしょうか。杉並公会堂の大ホールはとても広い空間ですが、豊かな響きがありますので、隅々までお客様にはお楽しみいただけるのではないかと考えています。

[小山]宮田さんのリクエスト、嬉しいです!とても楽しみですね!
そして、確かに杉並公会堂は大きな会場ではありますが、宮田さんのチェロは空間を満たしますから、物理的な大きさをあまり感じさせないのではないかと思います。ある能楽師の方のお話しで「空間を埋める」ということをいつも意識していると伺いました。「今日は、この空間を自分はどうやって埋めようかな」と。
音楽に置き換えて考えると、音量が大きい・小さいといっただけの話では全くなく、どのように届けるか、また「質」や「気」といった、目に見えず、耳にも聴こえないかもしれない要素も必要なのではと。そういう意味ではきっと、広い空間であっても宮田さんのチェロはすごく良く伝わるだろうと思います。

[杉並]なかなか、奥が深いものですね。物理的な音量ではなく、更にその空間次第で埋め方が違うのでしょうか。

[小山]私はいつも感じるのですが、音楽で考えると、同じフォルテでもその空間のキャパシティにぴったりはまるようなフォルテでは、あまりうまくいかない。さらに余裕と広がりを持って鳴らす、もう少し外側まで響きを創るような、そんなことができると、うまくいくのかもしれません。
だから、大きなホールだから大きな音で、といってもそれはうまくいかなくて。大きくて強くても弱く感じることもあるし、強いのにあまり強く感じないときもあります。結局は音量だけではないのですよ、届ける側と受け取る側、両方の人間の感じ方の問題でしょうか。
極端な例かもしれませんが、大きな声で「好きだ!」と言われても、小さな声で「好きだ」と言われても、どちらも感じるものはあったにせよ、伝わり方のニュアンスはまるで違います。言い方、声色、タイミングなど様々な要素が、その時のその空間に作用して、唯一無二の表現が生み出されるのですね。もちろん、大きくなくちゃダメなときもあるのです。でも一方で、小さな声のほうが強く伝わることもありますよね(笑)。
今回のチェロとピアノとのデュオも、ある意味そういったことの延長・応用で、音楽的に様々なコミュニケーションを駆使しながら、やり合うことになると思います(笑)。
宮田さんは本当に自在に音楽を操られます。そしてとろける様な本当に美しい音を持っていらっしゃいますし、相手の様子を微妙なところまで感じ、聴かれる方なのです。「こうじゃなくちゃいけない」みたいなことは全くなく、すごく柔軟性があるのでしょうね。
矢部達哉さんとのトリオのときにも、私たちとの合わせがはじまった瞬間から、お互いのニュアンスをとても良く感じ取り、「おそらく宮田さん一人のときにはここはこう弾かないのでは」と思うような音量や歌いまわしを、あたかも最初からそうであったように自然に巧みに繰り出し演奏されるのです。
一瞬一瞬の変化をきっとすごく細かく細かく聴いて、一つひとつのニュアンスを感じて反応されているのですよね。こちらがちょっと恥ずかしくなってしまうくらい細部を見られているような気がします(笑)。

 

舞台の上からも、杉並のお客さまの雰囲気を感じ取っています

[杉並]今回は2月下旬の寒い時期ではありますが、とても特別な機会となりますので、是非ともたくさんのお客様にお越しいただけることを願っています。

[小山]杉並のお客さまは、自転車でコンサートホールに来てくださる方もいらっしゃると聞いています。生活の一部にコンサートが自然に組み込まれているといいますか。そんな地元の皆さまも足を運んでいただけるホールではありますが、雰囲気がとても良いことが印象的です。普段着で音楽会に来てくださるような、そんな地域文化が根付いているのではないかと感じます。
私は現在の公会堂が2006年に開館する前の、旧・杉並公会堂の頃からお付き合いがあります。
当時も建物は古かったけれど、お客さまの雰囲気は今でも変わらないものというか、素晴らしいのです。普段着のリラックス感がありながらどことなくエレガントなんですよ。そんなふうに、いつものお客さまが楽しみにしてきてくださる、本当に素敵なことだと感じます。

(2025年8月小山実稚恵さんの自宅にて)