【インタビュー】小山実稚恵さんとテクスチュア探訪 Vol.16
2023年3月4日(土)に大ホールで開催される「小山実稚恵×矢部達哉×宮田大トリオ」公演に向け、杉並公会堂での新たな5年間シリーズへの意気込みや共演者のこと、作品への思いまで、お話を伺いました。
※テクスチュア:織物の織り方、生地。手触りや質感のこと。音楽では創作作品の書き込みそのものを指す。
〈聞き手=杉並公会堂 企画運営グループ〉
新シリーズ「Étoile(エトワール)~ピアノの星」への思い
— 杉並公会堂での小山さんの新シリーズ「Étoile(エトワール)~ピアノの星」が、いよいよ始動いたします。夜空に燦然と輝く星たちのごとく、音楽史を彩るピアノの名曲をお届けする、5年間のプロジェクトとなっています。
[小山]数年以上の長いスパンで「こんなプロジェクトをやっていきたい」「こんなレパートリーを演奏していきたい」といった計画を立てられることは、演奏家にとって非常に大切なことです。しかしながら現在の社会環境では、そのような計画を立てるのはなかなか容易ではありません。そんな時代にあって、杉並公会堂で新たな5年間のシリーズをスタートできることは、私自身にとってとても大きな喜びです。
クラシック音楽は、先人が創った作品を受け継ぎ、その意思を演奏していく音楽であると思っています。演奏していくためには、長い時間をかけた準備が必要です。これが例えば即興演奏などのように、刹那の思いをその場で弾くものであれば、また別かもしれません。しかし私達のように、クラシック音楽の演奏者として活動を続ける者にとって、先々の計画を立てられることは本当に幸せなことなのです。いま取り組んでいる作品のイメージを将来に繋げ、ゆっくり準備をし、そこから先のビジョンを創っていくことができるのですから。
それは過去の優れた作品が既に存在するからできることですよね。もちろん時には、予期せぬ形で新しい魅力的な作品と出会い、演奏したくなるということもあるでしょう。でも今はどちらかというと、これまで継続的に演奏してきた作品を、「これはもう一度やっておきたい」「もう一度ここで深めておきたい」「次はこのメンバーでやりたい」と、そのような思いが強くなっています。だから今回のトリオも、もう一度このタイミングで、この3人で深めていきたいのです。間違いなく、より良いものができるだろうと感じています。
東日本大震災やコロナ禍を経て、誰もが限られた人生の時間をどう生きるか、そんな問いを与えられた気がしています。私は音楽家として、将来的な計画を見据えながらコンサートを行っていますが、でも一方では、明日の演奏はないかもしれない、とも思っています。現在すべきことに集中して、とにかく悔いなくやっていこう、そんな気持ちで音楽に向き合っています。ですから、このような長い展望でシリーズを組めることは、私にとって本当に幸せなことなのです。
— 今回の杉並公会堂での5年シリーズが、小山さんにとっても、また杉並のお客様にとっても素晴らしい計画となっていくことを願っています。第1回目は、室内楽(ピアノトリオ)です。ソロ演奏やオーケストラとの共演も数多い小山さんの室内楽ということで、関心の高いお客様も多いことでしょう。小山さんにとっての室内楽とは、どのようなものでしょうか。取り組む気持ちや演奏の準備の点で、ソロや協奏曲などと異なる点があるのでしょうか。
[小山]よく聞かれるのですが、私の中では、大局的には準備が違うという感じはほとんどありません。一人で演奏しようが人数が変わろうが、楽譜を読み音楽にするといった、楽曲に対しての向かい方は共通しているからです。ただ、その中にあるイメージ創りや、その先のリハーサルの方法などは、特にソロの時とは違う感じがあるかもしれません。
デュオやトリオといった室内楽において、たった一人ステージに立つソロの時と違うのは、共演の方がどのように演奏されるかといった空想やイメージをしながら準備を進める点です。私が共演者の方を存じ上げていたり、演奏を聴いたことがあったりする場合には、そのイメージがしやすくなりますよね。この人ならここをどう弾くかな、こういうアプローチかな、といった具合に。そこに自分自身の思いも重ねて準備するのです。実際に3人で演奏を始めれば、そこにその時々の様々なインスピレーションが加わって変化してゆきます。舞台上では、その場の空気や気を感じながら、それぞれの思いと共に3人が一体となって音楽を作り上げていく感じでしょうか。
逆に、ひとり(ソロ)の時はそういった作用は生まれませんよね。自分がホールに響くピアノの音を如何に聴き取り、自分の気持ちをのせて集中していくか、ということになります。ピアノはホールの楽器ですから、それぞれ違いはありますが、それらはあらかじめ、ある程度想定もできますしね。
またコンチェルト(協奏曲)の時は曲にもよりますが、もう少し柄が大きいと言いますか、全容を感じる、という雰囲気になります。指揮者やオーケストラ、多人数での共演ですから、大河の流れのような感覚があるかもしれません。そのあたりは室内楽とは異なりますね。
矢部達哉さんと宮田大さんの音楽創りは、とても高度です。
— 今回は2019年2月に引き続き、杉並公会堂で矢部達哉さんと宮田大さんとの共演です。お二人とこれまで何度も共演されて、どんな印象をお持ちですか?
[小山]まず、お二人とも音楽創りがとにかく高度です。トリオだからって意識して音楽の縦の線を合わせるとか、もはやそのような次元にはありません。どんなイメージであっても、またどんなテンポやバランスであったとしても、あるいはさっきと演奏が違っても、私たちのトリオは合わせることに気を遣う必要はないのです。
既に基本的なことは実現しているからこそ、お互いを感じながら音楽に集中できる、ともいえます。だからその時々で、合わせることの先にある「どんなイメージで弾くか」といった解釈の部分に集中できるのです。仮に誰かがリハーサルとは全く違うことを仕掛けたとしても、3人それぞれがその流れを聴き逃すことなく感じて受け止めて音楽を作ってゆくと思います。結局、音楽がどう流れようとも動こうとも大丈夫なのです。
— とても高い次元の、音楽的な信頼関係ですね。
[小山]信頼があるのは、お二人の能力がすごいからです。「信頼」と「能力」、この両方。お二人とも全然タイプが違う音楽家ではありますが、それぞれがとても特徴的で素晴らしいです。
矢部達哉さんについて、以前「全身の毛穴に眼がついている」と表現したことがあります。明快なテクニックを伴った鋭敏さの上に、長年のコンサートマスターとしてのご経験から、アンテナの鋭さというか、音楽の流れを敏感に察知する能力を培われていると感じます。その結果、ときに寄り添ったり、ときには飛び出すほどに主張したり…という、その兼ね合いの素晴らしさがとにかく並外れているのです。今弾いている箇所だけでなく、先がどうなってゆくかを常に想像し想定しながら、今を演奏しているのだなと感じることもあります。リーダーシップもさることながら、コミュニケーション能力の凄さ、バランス感覚が優れていらっしゃるのでしょうね。
一方で宮田大さんは、おおらかな大きな音楽でありながら、驚くほどのセンシティブな気遣いを感じます。周囲の動きをとても細かく感じて聴いて、的確に状況を察知されているといつも感心してしまいます。協調性、気づき、それをさりげなくご自分の音楽に反映されるのです。一緒に室内楽のリハーサルをしていても、音楽的に主張すべきところは主張されますが、言葉で多くを確認することはあまりなく、繊細な部分までしっかり感じて受け入れてくださる。技術的な面が卓越しているので、どうなろうとも自由自在です。流れているのは「愛」と「優しさ」ですね。
— この素晴らしいメンバーで、ブラームスとチャイコフスキーのトリオ(三重奏曲)です。同じプログラムを、2020年2月に晴海の第一生命ホールで演奏されていますが、杉並公会堂とは響きや大きさが異なります(※ 第一生命ホール:767席、杉並公会堂大ホール:1190席)。演奏の様子も変わりそうですか?
[小山]印象はずいぶん変わると思います。杉並公会堂の方がひとまわり大きく、響きが豊かですから。ただそれ以上に、杉並の場合はホールにいらっしゃるお客様の感じがとても特徴的です。区内や近隣にお住まいのたくさんの方々が、徒歩や自転車でホールに足をお運びいただき、生活の一部のようにホールで音楽を聴いてくださる印象です。そんな皆さまとご一緒できる経験は、ホールの響きの良さにも増して素晴らしいこと。生活に文化が溶け込んでいる杉並の、お客様に愛されるホールで音楽をお届けできること、とても嬉しく感じています。
息の長いフレーズを3人で歌い継いでいく…本当に名曲だと思います。
— いよいよ今回の曲目のことをお伺いいたします。まずはブラームスが二十歳の頃に作曲(後年に改訂)したといわれるピアノ三重奏曲第1番から。冒頭のテーマから印象的な名曲です。
[小山]冒頭の深々しい、愛にあふれた音楽が素晴らしいですね。包み込むような響きが素敵です。全曲を通して、木漏れ日がさしたり、そよ風が吹いたり、静かな佇まいだったりと、いろいろな森のシーンを感じます。そう、私のイメージではブラームスといえば「森」なんです。この作品が若い頃に誕生したとは…すごいことです。
曲の構成としては、起承転結が比較的はっきりしています。それぞれの楽章のキャラクターがはっきりあって、まるでブラームスのシンフォニー(交響曲)のようです。起承転結がはっきりしているということは、全ての楽章で変化があるということですが、その内容として、ピアノという楽器を実に多彩に扱っている作品でもあります。表現を言葉にするのは難しいけれど、いろんなパッセージが出てきますよね。「じわっ」「さかさかさかさか」「とぅーん」と様々な感覚をピアノという楽器で表現させてくれるし、表現したくなる。ものすごく多様なイマジネーションを与えてくれます。いわば、作曲家ブラームスによるピアノの魅力が惜しげなく散りばめられ、また凝縮されている作品といえるでしょう。
そう考えると、杉並公会堂での「Étoile(エトワール)~ピアノの星」の初回がこの曲から始まるのは、シリーズとして相応しいスタートといえます。トリオ(三重奏曲)であっても…むしろトリオだからこそ、ピアノという楽器の素晴らしさを象徴するような作品なのです。
— 三重奏だからこそ、ピアノの多様性や魅力が引き立てられる、というわけですね。
[小山]はい、弦楽器とのフレーズのやり取りがとても多く出てきますが、同じフレーズが複数の楽器に受け渡されていく部分、例えばヴァイオリンなりチェロで弾かれたフレーズを今度はピアノが受け継ぐといった場面で、少し音楽的な難しさを感じることはあります。ピアノは音が減衰しますから、良くも悪くもなかなか弦楽器のようにはいかない。逆にピアノが弾いたメロディを弦楽器に受け継いだ時に「あぁ、いいなあ」って少し羨ましく思うこともあるのですけど(笑)。でも、それがまた良いのですよね。息の長いフレーズを、3人で歌い継いでいくのです。本当に名曲だと思います。
— この作品は、ブラームスの「作品番号8」ということで、かなり若くに作曲されましたが、晩年近くに改訂しています。改訂前の原典版はあまり演奏されないようですが、改訂後の作品を完成形と考えてよいのでしょうか。
[小山]ブラームスは63歳でこの世を去りましたが、最後の数年でこの曲を見直し、完全に自分の手で改訂したようです。晩年近い時期のブラームスによるピアノ関連作品には、間奏曲が有名な「6つの小品(Op.118)」や、聖書のテキストによる歌曲「4つの厳粛な歌(Op.121)」など、寂寥感もただようような独特の雰囲気の作品があります。
そんな時期に、このトリオのような大曲を改めて見直したというのは、やはり長い間ずっと気になっていて、そしてとても気に入っていた作品だったのではないかと思います。「若い頃につくったあの曲を、もう一度見直してみたい」となったとしても不思議ではありません。結果的に、初稿よりも規模が少し小さくなり、より納得のいく作品になったということでしょう。もしかして、ブラームスがもう少し長生きしていたら、ほかにもそんな曲(改訂作品)が生まれたかもしれませんね。
そう思うと、ブラームスの気持ちに思いを馳せながら、彼の「心の旅」のような気持ちを、コンサートにいらしたお客様と共有できると素敵ですね。
メランコリックでとても素敵な出だし…ピアニスト冥利に尽きますね。
— そして後半は、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲《偉大な芸術家の思い出に》。こちらも大曲ですね。
[小山]ブラームスに引き続き、冒頭からチェロが大活躍です。しかしピアニストとしては、トリオ(三重奏曲)でありながら、チャイコフスキーはよくぞここまで、ピアノパートをソリスティックに書いてくれた、という曲ですね。あらゆるタイプの演奏技術が求められますし、非常にヴィルトーゾ的な要素も盛り込まれていますが、それはこの曲が変奏曲であることが大きいと思います。そしてその変奏のどれもが、それぞれの演奏者の技量をかなりのレベルで求められるのです。さすがチャイコフスキーっていう感じです(笑)。
実はこの曲をはじめて知ったときに、少し不思議さを覚えたのです。この曲はニコライ・ルビンシュタイン(※ロシアの高名な作曲家、指揮者、ピアニストで、チャイコフスキーの親友)への追悼曲なのですが、人を偲んだ時というのは、普通はこれほどまでに技巧的で華やかなイメージは抱かないのではないかと。確かに第1楽章の出だしや、第2楽章の最後は、悲しみに暮れ悲壮感も漂いますが、その途中は意外なほどに様々な音楽が登場します。チャイコフスキーは楽しい思い出も含め、いろいろなシーンを次々に回想していたのでしょうね。
— ところで、ブラームスのイメージは「森」でしたが、ではチャイコフスキーのイメージはいかがでしょうか。
[小山](しばらく考えて)そうですね…。「風」かしら。荒涼とした。
曲の冒頭は、過去の良かった思い出を回想するかのようです。チェロとピアノがまるでデュオのように展開する出だしはメランコリックでとても素敵で、ピアニスト冥利に尽きますね。そしてヴァイオリンも加わり、トリオの音楽が展開していきます。
第1楽章は、痛いですよね、いきなり心を掴まれるような。それこそ告別式くらいの雰囲気がありますね。冷たい空気、木枯らしが吹いている、だけど空は晴れている…胸をズキッと刺す寒さ。あるいは薄い銀色の空のもとで細かな雪が舞っている…悲しみが心にうずく寒さ。演奏によって、どちらの天気もありえるような気がするのが不思議です。出だしのチェロ、そしてヴァイオリンの演奏を聴きながら、私の中の天気が決まる、そんな感じでしょうか(笑)。いずれにしてもまだ親友を失った悲しみが癒えておらず、胸を締め付けられる感じがする「現在の悲しみ」ですね。
一方で、第2楽章の方は少し気持ちが落ち着いてきたように思います。親友と過ごした良き時代、あるいは良き思い出を振り返り、回想している感じや感謝の気持ちがあるように思います。こちらは少し「過去の悲しみ」になってきたのでしょうか。途中には、マズルカ(※4分の3拍子を基本とする特徴的なリズムを持つ、ポーランドの民族舞踊)のような踊りの音楽が出てきますね。もしかしたら楽しいダンスなど、故人と体験した思い出を具体的に描いているのかもしれません。
しかしながら第2楽章の最後(曲の終結部)に、現実を受け入れる瞬間がやってきます。最後は突然、音楽がプツッと消える。先ほどの踊りの場面からは想像もできません。まるで、今まで歩いていたのに急にどこかにいなくなってしまうかのように。葬送の歩みが突然途絶え、そこでパッと生が終わるのでしょうか…不思議な気持ちになります。ルビンシュタインが亡くなったという現実を直視し、最後にチャイコフスキー自身の思いがそっと終わるということかもしれません。どちらにせよ非常に個人的な、そして謎を秘めた終結部ですね。
あの最後の部分は、非常に微妙で繊細な弱音なので、技術的にもとても難しいのです。ピアノの微妙な調整も必要で、弱くしすぎると、最後まったく聴こえなくなってしまいます。
— 今回のブラームスとチャイコフスキー、対照的なキャラクターの2曲を一度のコンサートで演奏されます。どちらも大曲で聴きどころ満載の、とても迫力があるプログラムですね。
[小山]そうなんです、だからこのプログラム「順番がつけられない問題」があって(笑)。矢部達哉さんとも以前、ブラームスとチャイコフスキーのどちらから先に演奏すべきか、相談しながらとても困ってしまったことがありました(笑)。
どちらもプログラムのメインになるはずの大曲なのですから。でもプログラムとして並ぶと、なんだかとても座りのいい2曲ですね。私が聴衆であれば、「え~っ!?」とプログラムに目を引かれたことでしょう。どう演奏するのだろうって。杉並のお客様にとっても、聴いてみたいプログラムになっているのでしたら、それはとても嬉しいことです。
(2022年10月 小山実稚恵さんの自宅にて)
撮影©:Hideki Otsuka / ND CHOW / Tetsuro Kameyama
【公演情報】
Étoile(エトワール)~ピアノの星 Vol.1
小山実稚恵 × 矢部達哉 × 宮田大 トリオ
2023年3月4日(土)14:00開演
杉並公会堂 大ホール