【対談インタビュー】小山実稚恵さんと テクスチュア探訪 Vol.17
2023年12月9日(土)に大ホールで開催される、杉並公会堂で6年ぶりの「小山実稚恵ピアノリサイタル」に向け、それぞれの演奏作品や作曲家への想いなど、お話を伺いました。
※テクスチュア:織物の織り方、生地。手触りや質感のこと。音楽では創作作品の書き込みそのものを指す。
〈聞き手=杉並公会堂 企画運営グループ〉
杉並公会堂での6年ぶりのソロリサイタルは「ロマン派の夢」
— 今回のプログラムについて、「ロマン派の夢」といったコンセプトをお伝えいただきました。どのようなイメージでこのプログラムを組み立てられたのでしょうか。
[小山]ブラームス、シューマン、そしてショパン、今回取り上げるこの3人の作曲家は、ロマン派の中心をなす大きな存在です。ピアノにおいては、シューベルトが古典とロマンの架け橋のような作曲家で、その後リストなどもいましたが、今回は3人の中心的な作曲家の、非常に象徴的な作品を集めました。どれをとってもロマン派の大傑作ですよね。
「ロマン派の夢」といっても、いわゆる憧れる夢ではなくて、現実か幻想か、そういった深い夢に踏み出すようなイメージの作品たちです。結果として、全体的にロマン派を象徴するプログラムとなりました。
— ちなみに杉並公会堂での前回のリサイタルは、J.S.バッハの「ゴルトベルグ変奏曲」などを演奏された2017年12月9日(土)で、偶然にも6年前と同じ日取りと曜日にリサイタルを開催できることになりました。
[小山]6年前の同じ日だとは驚きです。(今回のチラシを見ながら)プログラムの雰囲気を感じるようなチラシにしていただき、とても嬉しいです。色の組み合わせも美しく…本当にありがとうございます。とても気に入っています。
「間奏曲」はブラームスの最高傑作、堪えがたいほどの美しさです
— まずはブラームス「間奏曲」のお話しから伺えますか。
[小山]ブラームスの間奏曲は短い作品です。同時期に作曲された作品117「3つの間奏曲」、作品118「6つの小品」が彼の作品のなかでは白眉だと思います。紛れもなくブラームスの最高傑作だと言えるのではないでしょうか。いずれも亡くなる数年前、最後期の作品です。
特に今回演奏する「3つの間奏曲」第1番は、いたたまれなくなるほど美しく、悲しく、深い、ブラームスしか描けない世界です。そして第2番は、心が締め付けられるような、堪えがたいほどの美しさです。ブラームスの全作品の中でも最高傑作ではないでしょうか。
— この曲をコンサートのオープニングに持ってこられた思いとは?
[小山]ブラームスの音楽にある深い「愛」を、聴衆の皆様と共感できたらと思いました。「愛」と言葉にすると、なんとも直截的で気恥ずかしい感じがあるのですが、やはり愛なのです。これ以上ない、いつくしむ感じ。どうしてこんなにシンプルな音で、こんなに美しい音楽が存在し得るのだろうって。美しさでいうと、シューベルトに感じるものと似ているところがあるのかもしれませんが、シューベルトと比べるとブラームスは、もっとかみしめたような感覚というか、一度自分の中に深く沈めた感じというか、そういったものがあります。
以前から、ブラームスの音楽の素晴らしさには気づいていたつもりでしたが、実は何年か前までは、私としてはそこまで好きという感じもありませんでした。でも今や、居ても立ってもいられない程に「好き」。大好きでたまりません。ブラームスの音楽は、とても美しくて、深々しく、優しさがにじみ出てくる音楽なのです。
— 今年3月に杉並公会堂で、ブラームスのトリオ(ピアノ三重奏曲 第1番)を、矢部達哉さんと宮田大さんとご一緒に演奏されました。トリオは作品8ということで、二十歳くらいの若い頃の作品でしたが、今回はブラームス最後期です。年齢を重ねて、音楽にさらに深みが増しているということでしょうか。
[小山]はい。心身の衰えもあった時期でしょうが、この時代の作品はブラームスの集大成ですね。間奏曲は小品でありながら、とてつもない愛にあふれた深い音楽で、もはや間奏曲というような状態ではないのかもしれない。こうして話していても、ブラームスの音楽がさらに好きになってしまって…(笑)。
— そんな小山さんがいま演奏されるブラームス、とても楽しみです。
シューマンのピアノ作品の最高峰、「幻想曲」
[小山]今回演奏するシューマンのファンタジー(幻想曲)は、今シーズン久しぶりにプログラムに取り上げます。2012年の第1回(=2012年2月17日(金)杉並公会堂での小山実稚恵Produce公演 第1回)で演奏して以来かもしれません。10年以上ぶりに演奏して驚くのは、弾いていて感じるものが以前とぜんぜん違うことです。特に第1楽章は、以前は強い「情熱」を受け止めて演奏していました。もちろん今も情熱は感じながらも、もっと複雑に絡み合う心情というか、気持ちというか…クララに対しての想いということではもう済まない「何か」、凄みを感じています(笑)。
— シューマン20歳代後半の作品ですが、クララと婚約しながらも、彼女の父親の猛反対で先が見えない時期でした。以前の小山さんのインタビューでも「シューマンの作品はどれも心の迷いが感じられる」とおっしゃったのが印象的でした。
[小山]もはや「迷い」というようなものでは無いのかもしれない。とにかく、どうしちゃったんだろう、という感じですね(笑)。筋の通った情熱も感じられる一方で、極めて複雑な「迷い」をその音楽から感じます。出だしのハ長調から、調性も次々に変化していきます。
譜例にあるように、まず第1楽章冒頭の左手の16分音符の動きですが・・・・私にはその左手が、シューマンの燃えたぎるクララへの想いがグルグルになって、まるでシューマンの胸がミキサーでかき回されているかのように感じてしまいます。そして、右手のオクターヴで降りてくるメロディーは、シューマンのクララに対する張り裂けそうな情熱の旋律。
[小山]そう考えると、簡単に「迷い」なんていう一言では片付かないほどの、壮絶な想いを含んだ音楽であると、今となっては思います。揺れ動く心の内面の一つひとつを、既に20歳代で音楽にできてしまう。本当に驚くべきことです。
ブラームスの場合は若い頃の作品(ピアノ三重奏)なども素晴らしいけれど、最後期が最高の名作揃いです。一方でシューマンは、ピアノ作品に関しては若い頃に名作が多い印象です。もちろん、晩年の小規模で素敵な曲もありますが。
シューマンは危険なほどの天才、ギリギリのラインを彷徨っています。
[小山]そもそも「幻想曲」というタイトルでありながら、しっかりした3楽章構成であることからすると、もはやソナタであるとも考えられる。一方で、単一楽章のリストのソナタはむしろ「幻想曲」でいいのでは?という感じがします。シューマンとリストは、お互いにこれらの曲を献呈しあっているのですが、シューマンはあえて、ソナタにしなかったのです。
それにしても演奏を重ねるにつれ、音楽家・作曲家としてのシューマンの凄みのようなものを感じずにはいられません。自分の中にあるものを音楽にしてしまう能力において、シューマンは紛れもない天才です。それどころか、ある危険な領域とのギリギリのラインを彷徨っているかのような感覚さえ覚えます。そしてものすごい熱く、情熱的です。
この点において、例えばショパンやブラームスとは全く別のタイプであると感じます。2人とも素晴らしい作曲家ですが、シューマンほどの危険さはありませんね(笑)。
— 小山さんにとって、シューマンを演奏する難しさがあるとすれば、具体的にどんな点だとお考えですか。
[小山]作品を演奏するうえで、どのように構築していけばよいのか迷うようなところが実はたくさんあり、その難しさは感じますね。その理由の一つとして、シューマンの場合には瞬間ごとに、異様なほどに惹きつけられ、心を奪われる響きやパッセージがあまりにもたくさんありすぎて、演奏する側の感覚がシューマンの心情にかき回されて、あちこち散ってしまうのです。次々に魅惑的な瞬間が訪れるがために、結果的に「ここがクライマックスだ!」という頂点に持っていき難い、このような感覚をお解りいただけるでしょうか。シューマンの音楽は、あまりにも心奪われる瞬間がありすぎて、そこから解放されてまた次の瞬間に、といった繰り返しなのです。
他の作曲家、例えばショパンやベートーヴェンの場合には、作品自体が持つ非常に優れた構成力を持っていますので、演奏する際にはその構成力によって支えられるところがあるかもしれません。もちろん、シューマンの作品の構成力が優れていないという話では決してありませんが。
そう思うと、シューマン作品の感覚は、もしかすると日本の懐石料理のような感じに近いものがあるかもしれません。一皿一皿が出てくる度に、「ぁあ~」とか「う~ん!」とか、次々に感動する瞬間が訪れます。それから全体として、何とも言えない透明感を感じますよね。全体はひとつの流れのなかにあるのですが、それぞれ濃淡やカラーが異なっていて、「これ美味しい!」「これも素敵!」というような予期せぬ衝撃的な瞬間が何度も押し寄せる感じ。あっ、そう!もしかしたら懐石料理よりも、もっとお寿司に近いのかもしれないです!お寿司という作品の中で、ひとつひとつが違う種類の感動をもっている…。
一方でこれがベートーヴェンの場合には、充実のコース料理だと感じます。ちゃんと前菜からスタートして、最終的に「大満足!」となるという…時に濃厚なソースも使う。構成力ですよね。変な例えですが(笑)。
— とても面白いです。小山さんはシューマンの音楽に対して、いつ頃からそのような印象をお持ちなのですか。
[小山]いま(笑)。いや、前から思っているのですよ、でもお寿司に例えたのは今が初めてです。話しながら、ああ、そうだなって思ったから。今後どこかで言うかもしれないけれど(笑)。
そう考えていくと、ベートーヴェンやバッハは曲の構成感も味方にできるところがあります。ベートーヴェンの場合は、ある作品を着想した段階から、既にしっかりクライマックスがあり、最後にそこに至るための積み重ねや下地がはっきりとある。結果的に、演奏する側がそれほど構成感を意識しなくても、自然に演奏が構築されてゆく、そういう作品なのですから。
シューマンは何か違うのですよね。もちろん形式的にも、主題もしっかりしている。でも心の動きであったり、何かの衝動であったり、そういうもので音楽ができているから、ここが突出しているとか、ここがグサッとくるとか、そうなっちゃうのです。だから演奏する方は意識をもって構成感を出していかないとだめなのです。演奏者はもちろんですが、聴き手にとっても難しいものになってしまう危険性もあります。
ブラームスは「愛」の人、シューマンは「恋」の人
— シューマンの音楽は、より自由度が高いということでしょうか。
[小山]はい、そう思います。ただ自由とはいえ、即興的というよりは、美意識が刹那的なのではないでしょうか。ベートーヴェンのように全容を見て、計画的に何かを進めていくということではなく、「もうこれしかない!」のような感覚が頻繁にシューマンを襲うのではないかと。しかも構成力よりもアイデアが卓越しているものだから、その刹那の閃きと、強い意志が音楽になっていくのでしょう。
その点ブラームスは、自分の中にいちど沈めて、噛み締めます。オトナですね(笑)。ブラームスは「愛」の人だったのですよ。愛は一旦深く沈めて享受するというか、包摂感もありますし。シューマンは対照的に「恋」だったのです。恋は千々に乱れて、あるいは一方通行もありますよね。
シューマンと(妻)クララのそれぞれ直筆の手紙を見てみると、二人の文字の違いにとても驚かされます。大らかで紙面いっぱいに書かれたクララの手紙と比べると、シューマンの手紙は紙の一部にとても小さな文字で、ちょっと癖のある文字でいかにも内省的です。人間の性格の違いは、音楽だけでなく文字にもはっきり現れますよね。
作曲の技術と卓越したセンスにおいて、ショパンは一糸の乱れもありません
— シューマンのあと休憩を挟み、いよいよショパンのソナタ第3番です。ショパン34歳の作品。ジョルジュ・サンドと一緒にいた頃ですが、翌年には関係が悪化し、3年後には関係を解消、5年後には亡くなってしまいます。
[小山]ショパン最後期の作品であり、コンチェルト(協奏曲)以外では一番の大作といえるのではないでしょうか。特徴的なのは、これまでのショパンの作品にあまり描かれてこなかった、平和な音楽が第3楽章に現れること。どんなに美しい曲でも、どこかに薄幸が宿る印象のショパン作品には珍しく、本当に平和で、まるで天国へいざなうかのような美しい音楽です。
冒頭だけ、何だ?何だ?とザワザワしながらも決然としたロ短調(H-moll)。ロ短調はあまり多くの作品にある調性ではありませんが、私は少し特別な意味を感じます。何とも言えない響きの重さや、得も言われぬ「くすみ」があるニュアンス。リストのソナタもロ短調で書かれていますし、ピアノにおいては特別感があります。
第1楽章のマエストーソの部分も、いきなり迫りくる感じでしたし、続く第4楽章でも、ショパンが普段見せないような顔をこの曲では見せています。最後期のショパンがソナタという大曲を書くにあたっての意欲のようなもの、特別な覚悟を感じます。
— 小山さんが以前のインタビューで、第1楽章の第2主題が大好きとお話しされたのが印象的でした。2度繰り返される同じ旋律の、1度目がニ長調(D-Dur)、2度目がロ長調(H-Dur)と調性が変化するのですね。
[小山]ショパンは調性感が並外れて素晴らしいのです。この曲、この主題には、この調性しか考えられない、というようなところを、しっかり狙って使ってきています。そういった作曲家としての技術と卓越したセンスにおいて、ショパンは一糸の乱れもないですね。第1楽章の第2主題も、それから「24の前奏曲(作品28)」も、「練習曲(エチュード)」も、素晴らしいですよね。
たくさんの若いピアニストに、是非とも聴いてほしいプログラム
— 杉並公会堂には、ピアノを習っているたくさんの若いピアニストが毎日のようにいらっしゃいます。そんな皆さんにも今回の小山さんのリサイタルを是非とも聴いていただきたいと願っていますが、例えばシューマン「幻想曲」は、ピアノをやっている子どもたちにとって、かなり難しいレパートリーなのでしょうか。
[小山]一般的には、若い世代にはなかなか理解しにくい楽想であり、曲の持つ世界観が難しいですよね。感情の幹が、大きな一本だけではなく、いろいろな枝が多岐にわたっていかないと、曲が持つ世界観に追いついていかないと感じます。
これは自分の話しなのですが、昔はシューマンの作品を弾くと、「あぁ、私はこれまでこんな感情を抱いたことが無かったのではないか」と感じることがありました。自分がこれまで抱いたことが無いような感情が、シューマンの曲を弾くことを通じて湧き上がってくる、そんな体験をしました。以前は私にも、曲が内包する感情を持てない時期があったのだと思います。シューマンのなかでも少し解りやすい作品、例えばカーナバル(謝肉祭)や、クライスレリアーナに対しても、そんな感情を抱いたものです。ところが今回の「幻想曲」は、もっと大きくて、もっと難解で、激しくて、そして細かい。たった一言「迷い」なんていう言葉では、とても表現しきれない、そんな偉大な作品です。
そう考えると、もしかすると若い頃にちょっと不良だったり、もしくは悶々と悩んだり、あるいは思春期に挫折を何度も経験したような方の方が、実はこの「幻想曲」の世界観はより感じやすいのかもしれない(笑)。
— 一方で、ショパンのソナタ第3番の方は、小山さんが初めて弾いたのは何歳ぐらいでしたか?
[小山]忘れましたよ、もう(笑)。高校生くらいではなかったかしら。シューマンと比べると、ショパンの方はなんとかなる部分があります。決して子どもっぽい作品ではないけれど、優れたピアニストなら、若ければ10代でも素晴らしい演奏をしますよね。新しい感性で弾くこともできると作品なのです。ショパンの作品は、全体的に少し若い印象があり、少年とは言わずとも、壮年、青年の音楽だと思います。もちろん、老齢したピアニストが弾くマズルカなんかも素晴らしいのですが、それはまたそのピアニストとしての素晴らしさで。
— だからこそ、ショパン国際ピアノコンクールにも、世界中の若いピアニストが集まるのですね。
[小山]そう、このソナタ第3番も、ショパンコンクールの予選の曲ですよね。シューマンと比べると、ショパンの方が、曲が助けてくれる部分が多い。ショパンの曲の持つ完成度というか、成熟度というか、若いピアニストを受け入れてくれる、そんな感覚があります。やはりショパンはピアノの天才なのです。たくさんの若いピアニストの方にも、今回のプログラムを聴いて、感じていただけることを願っています。
(2023年8月 小山実稚恵さんの自宅にて)
【公演情報】
Étoile(エトワール)~ピアノの星 Vol.2
小山実稚恵 ピアノリサイタル
2023年12月9日(土)14:00開演
杉並公会堂 大ホール